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遊学の4年間

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関根 俊一さん
1961年卒/法学部
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2017.9.20
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遊学の4年間

 立命館大学の入学の動機は、千年の古都・末川博名誉総長の「未来を信じ、未来に生きる、そこに青年の生命がある」。この教えの通り、立命館の自由で開放的な環境での学生生活は希望にみちでいました。
 末川六法全書を持ち広小路の存心館で法律学の講義を聴いた時、衣笠で湯川博士の特別講演を聞くことができた時の世転びは深く心に残りました。
 賄い付きの下宿は、加茂川沿い、北大路橋近くの静かな民家でした。すでにO大学生、D大学生の先輩がいて、私は下宿の子供の家庭教師を頼まれました。山紫水明な自然の色、加茂川河川敷の散策は楽しみとなりました。年末試験の勉強をしていた12時頃屋台ラーメンのチャルメラに誘われ下宿の窓から注文。翌朝下宿のおばさんから二度としないようにとたしなめられました。
 通学は緑の市電で京都府立医大・立命館大学前―出町柳―糺の森―下鴨神社―北大路橋―烏丸車庫を4年間通いました。
 2回生の8月、急性盲腸炎で京都府立医大に入院。手術を執刀した医師は高校の先輩で安心して治療ができました。退院後毎日K看護婦が見舞いにきました。1週間後、突然母が上洛。その翌日からK看護婦は姿をみせません。下宿のおばさんか心配して電話をかけた京女のほろ苦い思い出です。
 下宿のO大学生(4回生)は四国の由緒ある名刹の出身で関西学生連盟の卓球の理事を務め、外出が多く生臭坊さんで通っていました。彼が突然分厚い仏教の経典を示しながら、卒論にしたいのでまとめてくれとたのまれ断りきれず適当に抜粋して訳したことも忘れられません。風聞によれば四国の高僧とききました。
 3回生になり心機一転勉学に励むべく、下鴨に移りました。食事は外食で、当時外食券が必要でした。その後大学に大食堂ができ、大へん便利になりました。
 下宿は十畳の部屋で暗い細長い土間の先に庭がありその奥に五右衛門風呂があり驚きました。下宿の御婆さんの京ことばには艶があり、着物姿は、老いの洗練された美しい方でした。
 6月から7月は大へん蒸し暑く冬の底冷えは耐えました。3回生になり授業は全科目受講し期末試験を受け4回生を待たずに卒業単位を取ることができたが後に校則で制限されていることがわかりました。
 4回生になり向学心は薄れ四条河原町高島屋でアルバイトを始め、同立戦で「赤い血潮」を歌い、学園紛争や円山公園で国会解散を求めた全学集会のデモに参加。帰り道、河原町の歌声喫茶でロシア民謡を合唱し、スナック(ハイボール二杯500円)で気炎を上げました。
 県人会をたちあげ、京大・府立医大・同大・同女子大・京女子大・光華女子大生の参加を得て、名所・旧跡・宿坊を訪ね打ち上げは河原町「木村屋」で乾杯。京文化、歴史、芸術を自然に体験できた遊学の4年間でした。

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