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わだつみ像と荒神橋事件の思い出

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小谷 肇さん
1957年卒/経済学部
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2018.3.2
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わだつみ像と荒神橋事件の思い出

 経済学部1回生であった私は河原町通りに面する広小路キャンバスに通学していた。昭和28年(1953)11月11日、この日、大勢の学生が「わだつみの像歓迎集会」に参加のため、存心館前広場にひしめいていた。凡そ400人以上はいたであろう。当時の学生は全員が学生服 に角帽を着用していた時代でありこの光景は現在の学生には想像出来ないだろう。午後5時近い頃と思うが、市内行進の「わだつみ像」も到着し、京大の学生100名ばかりも荒神橋(今出川橋の南に架かる) 経由で行進して存心館前の正門から入ってきた。
 「わだつみ像」は日本戦没学生記念会によって製作されたにもかかわらず、受け入れ先が決まっていなかった。当初は東大建立が予定されていたが東大の拒否により実現せず、京大に候補が上がったがこれまた大学側が拒否して、ときの末川博総長が受け入れを希望して立命大に決まったのであった。
 事件はこの直前に起きていた。集会が進むにつれ次第に明らかとなった。京大の学生がデモ隊列を組んで鴨川にかかる荒神橋に差しかかったとき、京都市警察はこれを「不法デモ」として渡橋を阻止したため、橋上のやや西寄りで警官と学生がもみ合いとなり木造橋の南側欄干が倒れた、身動きの取れない最前列の学生15名ばかりが鴨川の浅瀬に落下、 うち7名が頭蓋骨折や骨盤骨折の重軽傷を負った。後に分かったが死者も出ていた事件であった。
 存心館前広場の集会は市警に対する抗議集会に替わり、市警本部に対する抗議デモが決議された。その日の夜、市警のある京都府庁を襲撃するから各々ふところに石を抱いて集まれと指示が成された。夜9時頃、京都府庁の市警に抗議デモを行い玄関前で抗議集会を開始した。立命、京大の学生およそ600名、だが催涙弾などで排除された。10時過ぎに再び集合して市警本部長に面会を要求しようとしたが警官隊200名余りが無警告に学生たちに襲いかかり、学生側は後頭部を割られるなどの重軽傷者70名を出した。私も府庁を後にして、丸太町通を西に走り堀川通を左折して東側の通りを南下した、二条城が見える辺りで後方を追っ手が来ないかと聞い見ながら京風の格子戸が並ぶ家並の影に潜み、一緒に走ってきた黒木俊郎氏(佐賀白石高校)に、「新撰組に負われた薩長の志士もこんな風だったかなあー」と言った言葉を65年を経た今も鮮明に覚えている。ほっとして二条城の白壁を見ながらゆっくりと歩い て山陰線二条駅東の下宿までたどり着いた。


追記 私の祖父は明治15年、明治法律学校に入学。当時パリー大学から帰国して教官であった西園寺公望に学んだ。父は西園寺さんがつくった立命館に入学してくれたと喜んでくれた。

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