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びわこキヤンパス・メイン通り

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名越 文代さん
2000年卒/経済学部
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2017.7.6
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びわこキヤンパス・メイン通り

 教室の前三列ほどは、いつも社会人学生が座っている。誰言うともなくいつの間にか、「シルバーシート」と呼ぶようになった。シルバーシートには、勤勉派の学生も高齢者に混じって座っている。学生は社会人に意見を求めたり、バイトで欠席した際の講義記録を社会人のノートからコピーさせてもらったりしている。逆に社会人は、苦手な数式計算など教えてもらう。極めてフレンドリーな関係である。
 2回生時、若い学生と高齢者が一緒のグループで研究発表をする。夏休み前になるとそれなりにゼミの学生達とも顔なじみになって来る。ある時突然、「おばさん達にとって僕らの存在って、どんな風」と、横に座った学生に聞かれた。私は、突然の問いかけにとまどいながら、「そうね。孫にしては大きすぎるし、息子にしては小さすぎるってとこかな」
「ふーん」と、半解な表情に笑顔を重ねて学生は友達の輪に戻って行った。
 びわこキャンパスでの2年目、衣笠学舎のような落ち着いた環境は望みようもないが、それでも樹木はそれぞれの居場所を確保して朝の斜光を全身で受け止め、華やいでみせる。
 正門から幅広のメイン通りは鮮やかな綾錦の高低の樹木を両面に配し、風景の中央で学舎へと向かう学生達は遠近バランスよく納まってしまう。風景の中で歩を進めることの幸せを体毎感じ心地よい。風に乗ってきた妖精が言う。
「春の桜はどうだったの、謳歌したさつきの花は、可憐なうつぎの咲く頃はどうだったの、貴女の心に自然を愛でる余裕がなかったの」
「いいえ、今の方がゼミの発表、レポート提出三つ、余裕なんてないんですが・・・・・・」
 春の陽光は我が身には眩しすぎ、さつきの饗宴は派手で身の丈ではないし、可憐なうつぎはしなやかすぎる。今、こうして綾錦のスポットに身を投ずる安心感がなんともいとおしい。
 調子よく計画通りに物事がこなせていると自負していると、ある日の夕方突然頭痛と指先や舌先のしびれに見舞われた。
  一瞬どうしようと不安になったが、すぐに症状も治まった。講義も終盤で気持ちを落ちつかせ、終わるのを待った。こんな時に限って仲間がいない。そのはずで、自由選択の考古学である。それに、後期は日の落ちるのも早い。遠方から通学している仲間は遅い時間の必須科目外は選択しない。受講終了を待って電話でなじみの医師に症状を伝えた。
 正門近くでライトを上向けて待機しているタクシーに私は大きく手を廻した。「キャンパスはまるで別世界、おとぎの国の城のようできらびやかですね」リストラ3年目、上品で温厚な物腰のドライバーは私の状態を気遣いながら語った。

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