2019年 立命館大学校友会は設立100周年を迎えます。

Alumni

つながる

みんなの思い出

友人・恩師・クラブ・キャンパスライフ…
校友だから共感できる!
そんな学生時代の思い出をのぞいてみよう。

投稿受付中!

  • No image

宇治での下宿生活

name
丸山野 美次さん
1973年卒/法学部
post
2017.7.6
Twitter Face book

SHARE

宇治での下宿生活

 下宿から大学までは、近鉄電車に乗って大久保駅から京都駅まで近鉄京都線急行で20分、京都駅からは市電で30分程度、約1時間近くかかって通っていたのであるが、苦にならなかったのは、サラリーマンと違って時間に縛られなかったからであろう。
 下宿を営む母屋は、お茶を作っており、下宿の部屋の外はお茶畑になっていて、春になると近所のおばさんたちがお茶摘みのアルバイトに精を出していた。窓の外には、国鉄奈良線が通っていて、時々、蒸気機関車が通るという、今では考えられないくらい静かで、のどかな田舎風景だった。
 最初の2年間は、下宿の近くの家の中学生を相手に家庭教師をしていた。週2、3回教えるだけで、夕食も提供され、なかなか良いアルバイトであったが、3回生以降は時間的にもなかなか難しくなった。また、宇治はお茶で有名なところであるが、3回生になって、大学の学生課の紹介で、宇治市内のお茶屋さんにお茶の製造のアルバイトに行った。下宿に近い駅である新田駅から国鉄で1駅北に行くと宇治駅で、朝8時から夜10時くらいまで働いたと思う。時給は安かったが、朝、昼、夜、夜食と食事付きであったことから、下宿の他のメンバーにも声をかけて、春の1ヶ月程アルバイトをした。母屋のおやじさんからもいろいろとお茶については、教えてもらったが、実際にお茶の出来上がるのを実地で見ることが出来たのである。
 食事は基本的に自炊で、共同の台所があり、そこで調理をしていた。また、下宿生5,6人で隣の電器屋から冷蔵庫や洗濯機を安く買って共同で使っていた。トイレも共同だった。
 当時を振り返ってみると、授業料を除く生活費として、奨学金が12,000円、自宅からの仕送りが10,000円で、計22,000円で生活していた。部屋代は相場どおりの1畳1,000円、4畳半なので4,500円だった。大学の学生食堂は、研心館の地下にあり、薄暗い印象しか記憶に残っていない。一番安い定食が80円で、キャベツの千切りと一品(例えば、フィッシュスティック等)が載った一皿がおかずで、これにご飯がついていた。ウドンは30円、味噌汁が5円、ラーメンが50円(80円だったかも)だった。清心館という文学部の建物にグリルがあり、懐が豊かなときに、ここでビーフカツかミンチカツを食べるのが、経済的にキツイ中にあって、ささやかな豊かさを感じるときであった。
 京都市内には古い寺院や庭園がたくさんあり、興味があれば、いくら回っても見おおせないものである。また、伏見以南から奈良市へと至る南山城地域にも、寺院や仏像、庭園が点在しており、これらも結構数があって、交通機関で見て回るとなると、バスもほとんどなく、歩くのが大半であり、時間がかかるものであるが、時間を見つけてはテクテク歩いていた。近鉄の沿線に下宿していたということもあり、奈良へもよく出かけて行って、多くの寺院や仏像、庭園などを拝観して回った。おかげで、京都、奈良、その周辺の案内は今でもほぼ間違いなく出来ると思う。

↑