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末川博先生の思い出

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杉浦 貞満さん
1958年卒/法学部
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2018.8.20
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末川博先生の思い出

私は、昭和32~33年に大学新聞の主幹に就きました。この間のことで末川先生の思い出を書くことにします。立命館大学新聞は、原則として、旬刊で大判4ページ、発行部数は、3.000 部、一部5円でした。正直なところ部員数約30名、組織は、編集部、業務部(計理、広告担当)の2組織で発行日を守るのが大変でした。
ある日、末川先生の発案で、田村陽子総長秘書から、自叙伝を書きたいと言われるが、学園新聞で連載できますかと、問い合わせがあった。もちろん「おねがいします」とのことであったが、 「彼の歩んだ道」の題名は、後になってから決まった。
当初、編集部のミスで誤字が出て、二度ばかり編集長が総長室に呼びつけられた。学問に対する学者の厳しさを肌で感じた。連載の中ごろ、岩波書店から新書として出版したいとの話があった。何週もベストセラーとなり、若者を中心に広く読まれた。
京都大学の桑原武夫先生方が発起人となって、出版祝賀会が催された。新聞社にも2名の招待があった。会場では、並みいる高名会学者たちが談笑されており、入場を跨践していると、先生がステージから降りてこられ、「よく来てくれたな」と迎え入れてくださった。しかし、場違いとも思われ、早々にご無礼した。
(ここで少し岩波書店と末川先生のことに触れたい。 「六法全書」を編纂されたのは、日本の草分けでもあり、毎年改訂され、多くの学生に利用されていた。学園新聞は、先生のお陰で六法全書を始め、法学書の広告を月変わりごとに頂いた。一面の紙面三段通しであった。当時一本が 3.000 円であったから、6本分であった。
学園新聞では、例年、卒業生へのお言葉を総長から頂くとになっていた。主幹として私と業務部長でお宅に伺うことにした。非常識極まりなかったが、寒い夜7時ころ電話でアポイントを取り伺った。快く書斎に迎えてくださり、早速短冊に「未来を信じ、未来に生きる、そこに青年学徒の使命がある」と一人一人の先輩に筆で認められた。奥さんも同席された。
昭和33年、全国校友大会が、二条城で開かれた。 私は、新卒で愛知県の中学校教師になっていた。午前であったが、あいにく小雨であった。早めに出席すると誰もいない中に、先生がレインコート姿で空を眺めておられた。ごあいさつをし、談笑させて頂いた。「遠いところからごくろうさん、田舎で教師、やりがいがあるのではないか、これからは、地方でみんな活躍してもらいたい。立命館も、もっと充実して早稲田、慶応のように一流校にならないといけない。まだ二流校だが、時聞がかかるわな。」と言われた。そのお言葉で、都落ちなどと自噺せずに、愛知でがんばろうと意を決した。

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