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名物教授

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森 弘史さん
1992年卒/法学部
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2018.8.20
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名物教授

昭和60年代当時、私が立命館法学部で教鞭を受けた中で最も印象に残る人は中坊公平氏でした。後に「平成の鬼平」と呼ばれ、TV番組にもよく出演されていたその人です。「森永ヒ素ミルク中毒事件」や「豊田商事事件」の被害者救済弁護団長をリアルタイムで務め上げておられ、興味はつきませんでした。
当時、バブル期の地価高騰による「地上げ屋」問題等もあり、法学部の学生にとってはもってこい(?)の商取引大事件が全国のあちこちで起こっていました。その頃の情報ツールといえばもっぱらテレカと書籍がほとんどで、携帯電話を所有している人といえば、妙心寺の南門によく停車していた年配のタクシードライバーの方くらいだったことを覚えています。しかも、現代のお笑い芸人・平野ノラさんがよくネタで使っている肩掛けショルダーバッグの重量物そのものでした。その意味で私はもう生き証人になってしまったのですよね(笑)。よって対面(口頭)契約や書面契約なるものが昨今の電子商取引にとって代わられることなど想像もできない時代でした。アナログ的な契約手続は非常に重要な意味をもっていたことは言うまでもありませんでした。
中坊先生の講義は当時夏期法政特殊講義と称して開かれていました。周囲を全て山で囲まれた京都市の地勢上、ただでさえ熱のこもり易い土地柄の上、存心の801や、701といった大教室も立ち見(?)や立ち聴講(?)の学生達で入口、出口のドアがあふれかえっていて、まるで蒸し風呂のサウナのように熱気を帯びていたことを覚えています。それにも増して中坊氏の興味のつきない語り口調に暑さも忘れ魅了され聞き入っていたことを忘れません。卒業した後もいろいろなメディアを通して中坊氏が現場を識る本物の弁護士だったことをいやというほど思いしらされたことは言うまでもありません。
波乱万丈の人生を送られ逝去された恩師のご冥福を心よりお祈り申し上げると共に、当時感情多感で若輩の法学部生だった私達に法の精神とは何たるかを易しくわかりやすく教鞭して頂いたことを今でも誇りに思い、感謝している次第です。

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