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大家さんとの縁

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竹内 博文さん
1982年卒/経済学部
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2017.9.25
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大家さんとの縁

 昭和57年3月、慣れ親しんだ京都での下宿生活を終えると、大家さん夫婦とのつながりは年賀状だけとなった。
 平成4年のある日、予期せぬ知らせが舞い込んだ。大家さんであるおじさんが81歳の生涯を閉じた。穏和な姿が脳裏に浮かんだ。安らかにお眠り下さい。
 その2年後の平成6年4月、卒業して12年ぶりに私はJR花園駅に立った。時の流れは少しも感じることなく引き寄せられるように大家さん宅へ急いだ。ほどなく到着すると全てが当時のままだった。長い春休みを終え帰省先から久しぶりに戻った、そんな雰囲気さえ漂った。ためらうことなくチャイムを鳴らした。おばさんは当時と変らない愛想で再会を喜んでくれた。そして、無事仏前に手を合わしおじさんの冥福を祈ることができた。
 その後、おばさんとのやりとりは順調に続いたが平成11年、悲しくもおばさんの訃報が飛び込んできた。奇しくもおじさんと同じ81歳であった。これで大家さんとは縁もゆかりもなくなってしまったのか。そのまま長い月日が流れた。
 しかし、ついに平成27年5月、その時が来た。再び花園駅に降りた私は目を疑った。昔の面影など微塵もなかった。不安と緊張感が交錯したまま大家さん宅を目指した。最後の角を曲がり前方にゆっくりと視線を移した。あった。よかった。全然変っていない。実に前回の訪問から20余年、卒業してから33年が過ぎていた。
 突然の訪問の上、初対面であるにも関わらず、息子さん夫婦に快く迎え入れられた。ようやくおばさんの仏前に手を合わすことができ長年の夢が叶えられた。
 300年前からの家系が残る由緒ある大家さんの母屋の東側に2階造りの白い蔵の下宿生の建物があった。この時蔵は建て替えられてはいたが、白い外観が当時と何の違和感もなく私の記憶の中にすっと溶け込んでいった。
 私は1階で母屋に最も近い四畳半の部屋だった。格子戸をくぐりぬける出入口を大家さんと共有していたので顔を合わすことも多かったが、今では考えられないような接点もあった。帰りが遅くなると干した洗たく物を納屋へ入れてくれたこと、部屋代を直接手渡していたこと、大家さんの台所で電話の取り次ぎをさせてもらっていたこと・・・など。
 日々の中では、私は大家さんが発する京都弁が大好きだった。「おはようさんどす」「お帰りやす」。ちょっとした立ち話の中でも「そうどすか」「おおきに」、季節の折々では「暑おすなあ」「寒おすなあ」。また、おばさんがおじさんに呼び掛ける「おじいちゃん。おじいちゃん。」はなんとも心地よかった。ほっとする生活の声であり、夫婦仲のよさが垣間見えた。
 平成29年8月15日、機会あってお盆にお参りさせていただいた。感慨無量だった。大家さん宅を下宿先と決め、初めておばさんと話をした母屋のこの部屋で、約40年の時を超えて今、息子さん夫婦と会話し、亡きおじさんおばさんを共に懐かしんでいる。下宿人と大家さんとの縁。そこからつながる想いは少しも色あせることなく、今も私の心の中に映し出されている。

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