2019年 立命館大学校友会は設立100周年を迎えます。

Alumni

つながる

みんなの思い出

友人・恩師・クラブ・キャンパスライフ…
校友だから共感できる!
そんな学生時代の思い出をのぞいてみよう。

投稿受付中!

  • No image

50年後に待っていた奇縁

name
近藤 雅晴さん
1968年卒/法学部
post
2017.9.20
Twitter Face book

SHARE

50年後に待っていた奇縁
 
 「平成29年5月10日ケシ山ロッジ同窓会。午前10時30分、立命館大学茨木キャンパス正門集合」との電話。ケシ山ロッジとは、立命館に紹介してもらった北区深泥池畔の下宿屋さん。法学部2人。文学部1人、その他経済学部、経営学部とで10数人いて、全員が昭和39年(東京五輪の年)の立命館大学広小路キャンパスの新入生。経済と経営は2回生から衣笠に移転したので、一緒に過ごしたのは1年足らず。52年ぶりの再会だったが、一目で紅顔の面差しを見つけた。昔、荒神口にあった恒心館に隣接する「くに荘」の大部屋に泊まり懇親を深めた。最後は校歌斉唱。応援団長を務めた男がいたが惜しくも早逝。その団長の留年に付き合って、5年間同じ下宿で過ごした男が団長の演武を覚えていて、校歌に合わせて舞ってくれた。翌日、ケシ山ロッジを訪ねた。市バスの中で見ず知らずの婦人に、私たちが52年ぶりに再会し、昔の下宿を訪ねる話をすると、その下宿をご存じで驚かれた。昔は幽霊騒動があった山里も、今は瀟洒な住宅街になっていた。
 皆とは、出町柳で別れた。2回生の秋から移った左京区浄土寺の下宿を訪ねたくなった。お世話になったおばさんは父と同じ年。卒業後も、京都に行く度に泊めてもらった。新婚旅行や娘が3歳の頃にも顔を見せに連れて行った。平成10年、職場の旅行の際に訪ねたのが最後となった。10数年前に亡くなり、その娘さん(私より2歳上)も結婚されて岩倉にお住まい。今では空き家か更地にと想像していたが、家は昔のままの姿で建っていた。ここから、数々の驚きが始まった。家の写真を撮り帰ろうとして、玄関脇を見ると見覚えのある表札が掛かっていた。玄関も開いていて、若い女の方が顔を出された。「私は、50年前にここの2階に下宿させていただいていました」と挨拶すると、中からご主人が出てきた。名刺を見ると、昔おばさんに聞いたことのあるお孫さんの名前。彼は、写真家になって、この家に住んでいるとのいこと。「母に電話するから、上がって待ってください」と言う。岩倉から来てもらうのも気の毒なので遠慮したが、どうしてもと勧められるので待つことにした。その間に、私が借りていた部屋を案内してもらった。壁が漆喰になった以外は昔のまま。「隣の部屋に、祖母の位牌を祀っているので、お参りください」との申し出。まさかここでおばさんのお位牌に会えるとは、喜んでお参りし心の中で経を唱えた。娘さん(昔の)にも28年ぶりに会えた。ご主人は九州の方で、私のイントネーションが似ているとのこと。出身を尋ねると福岡県三潴。私が育った柳川市蒲池は、以前は三潴郡蒲池村。家は川を挟んで三潴郡に接していた。出身高校は伝習館。なんと私の母校。そして立命館へ。ふと思い立って訪ねたのに、若いご夫婦のさらりとしたオモテナシが嬉しかった。それにしても50年後にこんな暖かな奇縁が待っていたとは。

↑