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「松萬荘」の想い出

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宮竹 裕さん
1977年卒/法学部
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2017.9.19
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「松萬荘(まつまんそう)」の想い出

昭和48年3月中旬頃に学生課の斡旋で左京区岩倉に新築の学生用アパートがあるというので見に行ったら、棟上げが終わったところであった。日当たりが良い南側の部屋は既に予約済で満杯だったので、2階の北側の真ん中の部屋に決めた。四畳半押入あり、共同の風呂・共同の洗面場・共同のトイレ付で月額7500円の家賃であった。大家さんのご厚意で家賃を4年間据置にして頂けたのは非常に有り難かった。洛北であり冬は時に豪雪が積もるほどに寒かったが、炬燵だけで何とか凌いだ。また夏は盆地なので猛烈に暑かったが、団扇だけで凌ぎきった。アパート横の道路で下駄をはいて友とキャッチボールをしたこと、近くのゴルフ練習場に初めて行った時にクラブがすっぽ抜けて飛んでしまったこと、広小路学舎まで通学するのに往復で最低1時間は歩いたこと等が懐かしく想い出される。また年に1回程度だったが大家さんの飼っている鶏を捌いて頂き、お宅の座敷で鳥すきを皆でご馳走になったが、まさに絶品であった。そして松萬荘の庭で行った中秋の名月を愛でる観月会は、ご近所の迷惑も顧みず寮歌や応援歌等を高歌放吟して、まさに青春を謳歌した。今から思えば、本当に古き良き時代であったと思う。
一昨年クラブの同窓会で京都に行った折に岩倉を訪ねたが、駅前に随分とあった学生向けの食堂や書店もなくなっており、田園地帯は住宅団地へと変貌を遂げており、すっかり様変わりしていた。松萬荘は老朽化して取り壊されたのか既に跡形もなく、その跡地には未だ新しい学生ハイツが建っていた。大家さん宅を訪ねるとご主人さんとおばあさんは既に他界されており、奥さんと松萬荘の昔話をして仏様に線香を上げさせてもらってから辞去した。永年にわたり私の胸のなかでわだかまっていた積年の思いがやっと叶えられたので、これでもう岩倉を訪れることはないだろうと思った。

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