2019年 立命館大学校友会は設立100周年を迎えます。

Alumni

立命館大学相撲部卒

合宿でちゃんこ鍋の腕を磨いたこと。稽古帰りの風呂屋で汗を流したこと。バス停を持ち上げては力比べをしたこと。厳しい稽古の記憶と同時に浮かんでくるのは、同じ釜の飯を食べ、裸の付き合いをした仲間たちとの思い出だ。だが実はまる4年間を相撲部で過ごしたわけではなく、入部したのは一回生も半ばにさしかかった頃。入学当初は一人前にも勉学に励みたいと意気込んでいたから、誘いがあっても断っていた。高校時代の経験から、とても勉強と両立できるものではないということは身に沁みてわかっていたからだ。もうあんなしんどい思いは懲り懲りだという気持ちもあった。ところが前期が終わろうとする頃には自他ともに認めるほどに身体が鈍ってしまっていて、これはいかんと相撲部の門を自ら叩いた。
当時の先輩は実にやり手だった。ふらっとやってきた私にその場で胸を貸してくれ、わざと勝たせてくれたのだ。こちらは半年もブランクがあるわけだから、冷静に考えればおかしな話である。だが、「お前は上手い」「見込みがある」とおだてられ、すっかり有頂天になってしまった。浮かれた気分で合宿に突入。コテンパンにやり込められ、ようやくハメられたのだと気づいた時には後の祭りだ。それから始まる稽古漬けの日々に、自分でもよく卒業できたと不思議に思うくらいだが、心身共に鍛え上げられ、生涯続く友情を育んだ相撲部での思い出に、私の青春は凝縮される。

部誌編集から新聞記者志望に

「お前は応援団のほうがええんとちゃうか?」―

昭和42年(1967)年入学の、世に名高い団塊・全共闘世代です。とは言え、あまり刺激のない田舎町からぼーっと出てきて政治的意識は薄く、迷わず入ったのが茶道研究部でした。当時はやっていた短髪のスポーツ刈りにしていたため、すかさず口の悪い同期の新入部員に冷やかされたのです。

広小路キャンパスの学生会館4階の茶室「読茶庵」。入部すると指導役の幹事が、襖の開けた方や正座に始まり、薄茶点前や飲み方、道具類を丁寧に手ほどきしてくれましたが、何やら様子がおかしいのです。恒例の春季茶会が流れ、毎年夏の年間最大行事・遠征茶会も福井での異例の合宿に切り替えると聞き、どことなく活気がありません。

合宿では、幹事会の設営した模擬茶会に入席して初めて「茶会とは」を体験するなど収穫はありましたが、活動の柱はやはり、学生茶道界では珍しい全国各地での遠征茶会を含めた年間3回の茶会です。茶会開催は部員の点前や意識の向上、団結力が養われる集大成の重要な行事で、部の歴史をつくる要素です。

流派統一―。実はその年、幹事会はリスクを承知で積年の大きな課題を解消しようと、タブーに挑戦したのです。部内は表千家、裏千家、宗偏、薮内の4流派が存在する珍しい形態でした。敢えてその特色を排除して、流派を統一した先の更なる活性化を目指しましたが、削減対象とされた流派が猛反対して混迷。総会で流派統一案が否決され、幹事会は引責総辞職寸前まで追い込まれました。

年度初めの大騒動の余燼。その年、茶会は秋季のみでしたが、新入部員は組織運営の難しさ、生まれる逆風を垣間見た思いです。

二回生で部内誌「読茶」の編集委員になりました。模索しながら巻頭言を書き、年間行事をまとめ、各幹事をはじめ茶陶や茶室・茶庭など各研究パートのチーフに原稿を依頼、茶会をテーマにした座談会を開催。最後に部員名簿を付けて一冊に仕上げました。

この作業の過程でひらめいたのです。快感を覚え、「いいんじゃない、活字の仕事」―。もともと国語や作文が好きで好奇心旺盛です。よし新聞記者になろう! と決めました。今から思うと非常に遅い職業選択でしたが、おかげで2年後の就活は成功しました。

三回生目前の幹事改選総会で幹事長に立候補しました。すると、突如、ある先輩から対抗馬の推薦がありました。後日談では「(佐藤は)立同戦前夜祭で会った折、あいさつなしに帰った」という理由で心証を悪くしたようです。選挙には勝ちましたが、先輩の指摘は私の負けです。冷静に自戒しました。

社会へ飛び出す寸前、貴重な経験を積み卒業してから46年。家族ぐるみの濃い同期会を重ねました。それより、早めに“予約”しておいた同期女性と卒業3年後にゴールイン。「一期一会」は“一会一生”となりました。

「3位入賞メダル獲得」2011年の夏、チーム全員で決めた目標、描いた夢であったが、我々選手だけではなく、それまで歴史を紡いできた歴代のOB・OG、立命館大学応援団として悲願の夢であった。

夢を叶えた瞬間、家族と呼べる仲間たちと泣きながら抱き合い、喜び合ったあの瞬間を、私は一生忘れない。そして、その思い出を胸に、立命館大学応援団出身ということを誇りに、あの時の仲間たちとの絆を大切にしながら、これからの人生を歩んでいきたいと思っている。

チアリーディングは一般的に競技ではなく応援、さらには女性のみで行うものと認識されていることが多い。だが実際は、応援活動だけではなく競技会活動も盛んであり、男性チアリーダーも多く活動している。立命館大学応援団チアリーダー部にも、高校まで競技チアで活躍してきた選手がたくさん集まり、男性チアリーダーが在籍しているのが伝統となっている。立命館大学応援団は、現在吹奏学部とチアリーダー部の2部で構成されており、アメフト部、野球部をはじめとした各体育会への応援活動に加えて、学園祭、各校友会、地域行事等、様々なイベントに出演しつつ、それぞれの部がコンクール、競技会に出場しており、応援、イベント、競技(コンクール)、それぞれ全力に取組むことをモットーとしている。チアリーディング部にとって競技会とは、各体育会の応援活動、学園行事や各校友会・地域のイベント出演と同じく大切なライフワークであり、他の体育会と同じく魂と情熱を込め、アスリートとして臨む大舞台である。

2011年の夏、チアリーディング全日本選手権へ向けて、不動の上位3チーム、「日本文理大学」、「梅花女子大学」、「帝京大学」の牙城を崩し、3位入賞を果たすことを目標に日々の練習を重ねた。圧倒的強さと人気を誇る上位3チームではあったが、我々立命館の選手一人一人のチアリーディングにかける情熱、負けん気の強さ、メンバーの能力では負けていないという自信がメンバーにあった。練習開始当初はチームワークが全くできておらず、男女で練習や演技に対する考え方も違い、3位へ程遠いチーム状況が長く続いた。しかし、日々練習を重ねるなかで、チームメイトに対する思いやりと感謝の気持ちが生まれ、目標を何度も確認し、チームで夢を叶えるために一人一人ができることを積み重ねていった結果、大会遠征出発時にはどんなチームにも負ける気がしない、温かく力強いチームワークが出来上がっていた。大会当日朝にメンバーが負傷するアクシデントがありつつも、最後までチームワークを最大の武器に自分たちの演技をやり切ることができ、3位入賞メダル獲得という夢を掴むことができた。

学生時代、家族のような仲間たちと夢を追い、夢を叶えることができたことを本当に幸せに思う。チアリーダー部のみんな、応援団のみんな本当にありがとう。そして、またいつの日か一緒に夢を叶える日がくることを信じている。

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