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下宿の大家の小母さんとの想い出

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山本(松下) 晶子さん
1984年卒/産業社会学部
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2017.10.16
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下宿の大家の小母さんとの想い出

 NHKの朝の連続テレビ小説「ひよっこ」で、赤坂あかね荘の大家の富さんが登場すると、想いだすのが大学時代に4年間暮らした下宿の大家さんのことです。その下宿は、大学のすぐ近くで、敷地内に母屋と二階建ての離れがありました。離れに、大家さんである小母さんが一人で暮らし、二階の1つだけある和室に下宿をさせて貰っていました。大阪に住んでいたので、自宅通学をするのも可能でしたが、両親の強い勧めがあっての下宿でした。入学直後の頃の写真を見ると、独り立ちするのが不安で、沈んだ表情の自分がいます。今から思うと、過保護に育った娘を何とか、自立させたいと願う親心だったのでしょう。離れは、木造の純和風の造りで、古くて、二階に続く階段はミシミシと音がしましたが、掃除が行き届いていて清潔で、とても居心地の良いお家でした。最初に小母さんから「消防局から数分で燃え尽きると言われたので、火事には気をつけてね」と言われて驚きましたが、その後卒業までの4年間をこの下宿で暮らしました。
 門限や決まりごとは、厳しかったですが、小母さんとの生活は楽しい想い出ばかりで、最初の頃の不安はいつの間にか消えていました。週に一度は夕食を一緒に食べていました。特に野菜たっぷりの鳥のすき焼きは、朝引きの地鶏を使いとても美味しいものでした。大学の友人が自由度の高いアパート等に移り住んでいく中で、私はその小さな下宿が気に入っていました。洗濯は、小母さんの洗濯機を借りて、干すときは離れの裏の物干し場を使っていました。その干し場の支柱がものすごく高くて、4メートルくらいあったでしょうか。小母さんから、先が二股になった長い竿上げで、物干し竿を片方づつ、支柱の一番上前まであげていくコツを教えてもらいました。干し終わると洗濯物が風にそよいで達成感があり、取り入れるとカラカラに乾いていて、お日様の匂いがしました。今でも風のある日には、その時の風景がふと蘇えります。
 小母さんには、裕福な親戚や友人が多く、その家のお手伝いのバイトを探してきては、私に紹介してくれました。掃除や留守番だけでなく、家族全員が医者のお宅に早朝のコーヒーを入れに行くだけだったり、海外旅行に行く間の室内の花の水遣りをするだけだったり、私にとっては貴重な社会勉強になりました。
 卒業後、しばらくして小母さんが入院されたと聞いて、病院にお見舞いに行くと、もう私のことは判らなくなっておられました。数年前に同窓会で大学に行った際に、久しぶりに下宿を訪ねてみますと、既に離れは無くなっていて、母屋と干し場の支柱だけが残っており、洗濯物が風にそよいでいました。大学時代を小母さんの下宿で過ごした4年間は、初めて他人の家で暮らし、京都の街と人の温かさを感じながら、自立していく大事な時間でした。大学に行かせて下宿の仕送りも十分にしてくれた今は亡き両親に心からの感謝をしています。

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