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今に残る、法律相談部の「共同宿坊」

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大裏 篤さん
1974年卒/法学部
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2017.10.16
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今に残る、法律相談部の「共同宿坊」

1970年当時は素人下宿が大半で、互いに集まり、飲み、語り、寝泊まり出来る所は限られていた。自ずと伝説の下宿で過ごした濃密な記憶だけが語り継がれ、後年、私達は知らず再び集うこととなる。

(1) 法相部の先輩御用達、勝手御免の「北白川」下宿

広小路学舎から銀閣寺行の市電を北白川で降りた文教地区に私の下宿はあった。家主は高齢の教祖様でほぼ不在のため、先輩と私で自主管理。法相部のデスク研で連日諸先輩から絞られた後、その憂さを晴らし人生と法律と文学を語り合う(?)拠点として部員が出入りしていた。時には大失恋した部員が一週間転がり込み、彼を励ます会が連夜開かれる始末だった。
そしてある夕刻、小径から部屋を見上げると既に電球が灯り人の気配が。鍵を掛けた筈なのにと慌てて飛び込むと、口を利くのも畏れ多い大先輩が「今夜はここでOB会をやるからな!」と宣告。知らぬは部屋主ばかりなり、次々と酒肴を持ち寄る部員で6畳の部屋は溢れ、やがては高歌放吟。宴が終わると隣室も問答無用で供出、押入れの中まで人が眠るという有様に。考えると、この下宿は部の先輩から代々引き継がれ、私も前の下宿を追い出され転がり込んだクチ。鍵の在処など先輩は皆先刻承知だったのだ。このようなことが学生なら許される時代と自己解釈していたが、やはり近所から家主に苦情は届いていたようだ。今は一帯がマンションに様変わりし当時の面影は無いが、そこには間違いなく熱くほろ苦い青春を過ごした時間と空間が存在したのであった。

(2) 今に建物と住人が残る、法相部の共同宿坊「内藤荘」

衣笠学舎を金閣寺方面へ歩くと、閑静な住宅街の木立ちの中、まるで「男おいどん」の世界にタイムスリップしたような異次元空間が出現する。それが「内藤荘」、かって東本願寺前にあった門徒用宿坊を移築して学生用下宿に転用したという、築70年木造2階建8室の存在感溢れる建物である。そしてそこには、45年前の法相部員K.O氏が唯一の住人として今も住み続けている。彼は様々な悩みを抱え転がり込んだ部員を受け容れる共同宿坊の役割を受け継ぎ、守ってきたのである。
時恰も台風18号が接近する本年9月17日、家屋倒壊を危惧しつつその脅威に負けじとここで「前後三年の集い」(’69~71年入学生を対象)を強行開催した。流石に九州等からの参加は無理になったが、今は亡き友の想い出など夜更けまで話は弾んだ。やがて当時のプライバシーも何も無いまるで法相部御用達の下宿に話題は及んで、その生き証人がこの内藤荘であるということをしみじみ語り合った。几帳面で綺麗好きな住人が自ら管理するこの建物、柱や廊下には丁寧にニスが塗り込まれ、部屋もよく片付き、長い廊下と階段を上がり降りする愉しさは別格である。これからも共同宿坊としての役割発揮が十分に期待可能〝いつまでも健在であれ、内藤荘と宿坊守!”

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