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新設された衣笠寮での生活

name
吉岡 幸男さん
1953年卒/理工学部土木工学科
post
2017.9.25
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新設された衣笠寮での生活

 終戦から間もない昭和23年4月、私は立命館専門学校に入学しました。最初は三重県の自宅から汽車通学をしていました。しかし、当時はよく停電して、停電になると市電も止まってしまい、授業に遅れるんです。こんな事がしばしばあったので、父親の知人の紹介で、金閣寺の近くで下宿する事に決まりました。そこで2年半お世話になりましたが、ある時学校の事務所で衣笠寮開設の話を聞き、入寮希望者名簿に登録をしました。昭和25年11月上旬に入寮者が決定し、11月中旬に寮生第一号となりました。同20日には全員入寮したと記憶します。
 私は集団生活は初めてです。自炊の経験もありません。しかも私を含め3名が最上級生です。寮と言っても民間のアパートを購入した中古物件で、炊事場もトイレも1カ所で共同使用です。「何かルールが必要だ」と思いました。舎監の畠山直隆先生(故人)は既に家族で衣笠寮にお住まいでしたので、ご相談申し上げ、2階の大広間で寮生大会を開いて、最低限の規約を作ったように記憶します。
 当時理工系の学科が衣笠キャンパスにあった関係で、衣笠寮寮生の大多数は理工系の学生でした。そして皆よく勉強し優秀でした。東は北海道・西は愛媛県山口県出身者という広範囲な集団でした。私は日本育英会の奨学生だった関係で、希望者に育英資金を借りる手続きの方法を教えました。奨学生になった寮生から「あれ本当に助かります。有難うございました。」とお礼を言われた事を思い出します。私は貧乏で走り回っていましたが、寮を拠点にして、御室や嵐山へ桜見物に。また等持院の石庭、妙心寺の境内で静かに瞑想し、文化的教養を養っている寮生もいました。
 寮生活で忘れられない事にエキストラ出演があります。衣笠寮は太秦に近いからか、まとまった人数が得やすいからか、太秦の撮影所からエキストラとしてのアルバイト求人がよく舞い込みました。私も何回か行きましたが、美しい女優と出会えたり、自分のちょんまげ姿がまんざらでもないと感じたりで、みんなよく行ってたみたいです。
 寮から徒歩10分ばかりで校門です。校門には専門学校と大学学部の名前を書いた棒杭がありました。今思えば懐かしい限りです。
 私が現在あるのは、衣笠寮で多くの学友と切磋琢磨し、「我以外すべて師」と教えられたお陰です。衣笠寮に対しただただ感謝あるのみです。

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