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“門限9時”からスタートした下宿の思い出

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池田 直さん
1972年卒/経済学部
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2017.9.20
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“門限9時”からスタートした下宿の思い出

 平成23年4月米原で開催の第5回「川本ゼミ」旅行は、卒業40周年の節目に当たるため、衣笠キャンパス以学館で恩師川本先生の模擬授業を行った。開始まで余裕があったので、学生時代の下宿に行ってみることにした。卒業以来下宿を訪問するのは3度目で、徒歩15分程の処なので直ぐに分かったが、新しく建替えられ表札も変わっていた。戻りながら、40数年前友人達と飲み食いした思い出のある飲食店も、殆ど昔の面影が無く変わってしまっており一抹の寂しさを覚えた。
 4年間替わることなくお世話になった下宿とは、ひょんな事から決まったのだった。佐賀の実家のご近所に、父の碁仲間で裁判所に務めている方が単身赴任で良く我が家にみえていた。私が立命館大学に進学すると知ると、前任地が京都だったそうで大学の担当の方をご存知で、紹介して下さったのだった。それで、京都に着き早速大学に担当の方を訪ねると話が通じていて、カードを持ち出し「一戸建てで女子学生を希望のところだから、しっかりしているだろう」と、おばさんのところを紹介されたのだった。訪ねて行くと、最初の一言が「門限は9時ですからね、いいですね!」と唯それだけ厳しく言われたことを、今でも鮮明に覚えている。
 下宿先はおばさんご夫婦と娘さん、下宿生は女子学生1名と新入りの私で、部屋は四畳半、風呂も利用可能、下着類の洗濯もおばさんがやって下さり下宿代は5千円だった。当初風呂や洗濯は大変助かったが、女子学生がいたことや“門限9時”を守るため気を使い、また紹介してもらった手前迷惑はかけられないと思い必死だった。妙心寺の南に自宅通学の友人がいて、つい話し込んで遅くなると妙心寺の長い参道を駆けて帰ったものだ。そして、半年程これまでにない‘真面目な’生活をしていると、信用されたのか玄関の鍵を預かり、今度は“用心棒”を担うようになった。それから遅くまで友人達と議論したこともあったし、年に何度か同郷の高校時代の友人4、5人が夜遅く来て雑魚寝したこともあったが一度も小言を言われなかった。また、近くには名刹が多く特に仁和寺の桜、雪が降った日の金閣寺は素晴らしく忘れられない。竜安寺や仁和寺の境内は日々‘無料’の散策コースであった。
 卒業してから下宿のおばさんとは年賀状のお付き合いは続いていたが、最初に訪問したのは、銀行に就職して4年目の昭和50年11月結婚相手が決まり、紹介のため名古屋から訪問し大変喜ばれた。その後仕事が忙しく京都を訪れる事が無く、会える機会も無かったのであるが、平成2年娘さんから不幸連絡を受け、2度目としてご仏壇にお悔やみに伺ったのであった。
 70年安保闘争や学園紛争が華やかりし頃の京都で、部屋代や様々な問題等で下宿を移る仲間も多かった中で、静かな環境で恵まれた4年間の学生生活を送れ、厳しかったけれど優しかった下宿のおばさんに、今になっても感謝するのである。

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