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修学院「下田会」は永遠に

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望月 由孝さん
1973年卒/法学部
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2017.8.30
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修学院「下田会」は永遠に

「京都で一番好きな場所はどこですか」と問われたら、私は迷うことなく「修学院」と答えます。私は3年余り、修学院の薬師堂町に下宿したのですが、そこはとてもすばらしい土地でした。春は桜と菜の花が咲き乱れ、雲雀の声が聞こえます。夏は夜になると比叡山からの涼しい風が吹き抜け、すごしやすくなります。秋は真っ赤な紅葉に燃え、金木犀の香が漂います。鷺の森神社を抜け曼殊院の前を通り、雲母坂から音羽川沿いに下り、小さな橋を渡って林丘寺に出ると、そこは修学院離宮の広大な景色が広がります。冬は底冷えがひどいのですが、雪が降るとそこは一面の銀世界。神社仏閣に積もる景観はまた格別です。
下宿には常時6,7人の大学生が住んでおり、立命館3人、同志社2人、京都産業大学2人くらいの割合で、出身地は、東京、千葉、広島、島根、香川、鹿児島、大分など多彩でした。部屋は7部屋あり、出入り口は襖1枚で、プライバシーなどは全くありませんでしたが、その代わり下宿人同士はとても仲良くなり、親密な関係を結ぶことができました。休日には時々みんなで奈良などに行き、神社仏閣巡りをしました。京福電鉄に乗って鞍馬の火祭に行ったこともあります。
自炊厳禁の下宿でしたが、下宿のおばさんに内緒で「すき焼き大会」を開き、お酒を飲んで大声で歌を歌って怒られたこともあります。その宴会の後、夜中に懐中電灯を頼りに雲母坂から比叡山に登り、夜明けの山頂でごろ寝をしたことも、つい昨日の出来事のように思い出されます。その中の数名とは特に親密になり、学生時代からそれぞれの郷里の実家に遊びに行き、その家族とも親しく交流を結ぶことができました。その仲間たちは、卒業後は各地に散らばって行きましたが、「下田会」という会を作り毎年のように同窓会を開き、九州、奄美諸島、馬篭、津和野などを旅行しました。仲間の結婚式には万難を排して集合しましたが、私は高校教師として修学旅行の引率と重なり、H君の結婚式に出席できず、それが今でも負い目となっています。
その下田会も私の結婚式を最後に、30年ほど途絶えてしまいました。それぞれ子育てや仕事が忙しく、皆で1か所に集まる同窓会を開く余裕が無かったわけです。もっともA君は、出張や自分の子どもの家を訪問する機会が多く、大阪でH君と会ったり、東京に来た時には(結構頻繁に)私と会っていましたので、それほど「ご無沙汰」と言う感じではありませんでした。ところが5年前の2012年11月、それぞれが少し暇を持つゆとりが出てきましたので、秋の京都で30年ぶりの下田会を開くことができ、4人で修学院を訪れました。そして昨年11月には5人で京都大原で下田会を開くことができましたが、このときは私(妻は病弱のため)以外は連れ合いも同伴し、皆で修学院を散策しました。「下田会は、このあとも末永く続けようね」と誓いながら京都で皆と別れました。

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