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  • 学園祭の看板はすべて手作りした
  • 1972~77年の学園祭パンフレット
  • 淀川長治さんからの手紙
  • サマーキャンプでの寄せ書き

学園祭事務局奮闘記

name
深山 博英さん
1976年卒/法学部
post
2018.3.13
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学園祭事務局奮闘記

入学した1972年頃から学園祭実行委員として活動し、卒業後は学園祭事務局OB会という団体で毎年一回、京都に集い同窓会をやっています。

現役時代、学園祭事務局として目標としていたのは、学生の力でやりきろうというものでした。それ以前は、学生の無責任な活動が目立つ状況でした。例えば代表的なものが模擬店の出店マナーのこと。学園祭の前夜祭は広小路で、後夜祭は衣笠で行われており、それに多くの模擬店が出店していたのですが、そこでの一番の問題は後片付けでした。学生たちは時間が終わるとそそくさと帰り、なんと学生部の職員の方々が明け方までかけて後始末をしてくださっていたのです。はたしてこの状態が学生の自治かと、疑問をもちました。

そこで私たちは出店マニュアルをつくり、参加希望の団体、グループを集めてマニュアルの説明と、特に後片付けの徹底を指示しました。そうしたら、時間がくると学生たちが一様に後片付けを始めるようになり、自分たちのことは自分たちで行うということができるようになりました。当たり前のことですが、こんなことさえできない学生たちだったのです。

広小路でも衣笠でもステージをつくり、その前にはファイアーストームを設置しました。この時の木材はどういう風に入手したかといえば、国鉄(今のJR)からいらなくなった枕木を低価格で買い、レンタカーを用意し、それぞれの各会場に運んでいました。それを5・6段組んだものが立命の名物となり、他大学からもそのノウハウを教えてくれという依頼もくるようになったのです。

パンフレット作りも苦労しました。パンフレットに掲載する原稿が各団体からなかなか集まらず、また広告主を探すのに担当者がいくつもの企業等をまわっていました。講師の手配、映画の選定など、事務局主催の講演会や映画会を企画するのも大変でした。ある年、無理を承知で映画評論家の淀川長治さんに出演を依頼しました。日程が合わず実現しませんでしたが、丁寧なお断りの手紙がご本人から届いたことには驚きました。この時の手紙は今でも大切にしています。

学園祭全体をうまく進行させることが私たちの責任でした。しかし、学園祭事務局が立ち上がるのは、その年の早くても9月位。これでは学園祭の諸企画が充分にできません。そこで私たちは、学友会へ学園祭事務局の常設化を要望しました。がしかし、なかなか受け入れてもらえず、事務局員が自主的に集まって活動をしました。学園祭事務局というと、学園祭だけを行っていたように思われていますが、例えば、他校の自治会に呼びかけ、サマーキャンプを行ったこともありました。

学園祭事務局での活動は、今でも心に残っていますし、OB会のみんなもある意味誇りに思っています。楽しいキャンパス生活でした。

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