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大学時代の思い出

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大西 信さん
1962年卒/経済学部経営学科
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2018.2.22
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大学時代の思い出

 卒業して56年になる。昭和33年4月、大阪の商業高校から立命館大学経済学部に入学、広小路学舎に通学した。京阪電車で京橋から特急で三条へ、河原町三条から市電で4年間通った。当時の学生の殆どが、黒の学生服と角帽子を着用して通学した。
 正門を入り、不戦の誓い「わだつみの像」があり、存心館・研心館・清心館の学舎で法学部・経済学部・文学部の授業が行われていた。校門横の書店には講義ノートが販売され、授業の抜けた学生には喜ばれ、試験の前にはよく売れていた。また当時、タバコは箱単位でだけでなく、ばら売りとして1本ずつ販売されていた。
 入学時に、羽織に高下駄という出で立ちで大柄な応援団長による校歌斉唱があり、大学というスケールの凄さに驚き、感動した。末川 博総長の「理想は高く、心に太陽を」「未来を信じて、未来に生きよ」という言葉は一生、私の脳裏から離れない。また一回生の通学時、河原町三条で総長にお目にかかり、私が呆然とした瞬間、総長から先に挨拶をうけ、恐縮して返したが、その時、挨拶の大切さを身に染みて教えられた。
 食堂は、「ごはん・野菜付きのハム等・味噌汁」の定食が40円と低額で、さらに地方からの学生には米の持参で割引をするなど、貧乏学生に配慮されていた。時に生卵を注文すると20円を要したが、栄養をつけようとする学生には好評で、当時としては清潔な食卓で定食の日替わりメニュー内容もよく考慮され学生には貴重な存在であった。
 入学当初、自治会から勧誘をうけ、しばらくの間 経済学部自治会室へ出入りした。当時は警職法反対運動などの政治活動が盛んであり、チラシ印刷を手伝ったり、集会に参加したり、またカンパを集めたり、時には河原町でのデモ行進を行ったりした記憶が蘇る。
 クラブ活動は珠算研究会に入部し、珠算教育について発表し合い、常に計算方法などの議論を交わし合って先輩や後輩との交流を深めた。珠算研究会は全関西学生珠算連盟に加盟し、関西の各大学との交流を行うとともに、毎年、関東の大学との交流会も行った。私の4回生時に、母校の清心館で、全日本学生珠算競技大会を開催した思い出がある。
 授業は、研心館4階で大勢の学生と受講し、英語・ドイツ語などの授業は50名ほど入る教室で受講した。出席を確認するために出席票の提出を求める教授もおられた。
 2回生の時、経済学部に経営学科が設置され、経営学科へ在籍した。特に簿記論・財務諸表論など商業教育の実践的な分野を学習した。高校時に商業簿記・工業簿記を習得していた商業科出身者にとっては、経営学科の教科を履修するには適していたと思う。
 また単位を習得する教科の関係で、私の空き時間が多く、それを補充するために教職の教科を受講した。お陰で卒業時に商業科の教職免許を習得することができ、卒業後、高校に奉職することができた。いまでも、少年院で教職に関係した篤志面接活動を行っている。
 平成28年秋に藍綬褒章を受章する栄誉も、母校で商業科教職免許を習得したお陰である。

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