2019年 立命館大学校友会は設立100周年を迎えます。

Alumni

HISTORY

2019年に100周年を迎える校友会。
大学昇格をはじめ母校と発展を共にした
校友会のあゆみとは、どのようなものだったのでしょうか。

年号をクリック!その年代の出来事を見る事ができます。

~1918

1869年(明治2)版籍奉還

学園

学祖・西園寺公望

学祖・西園寺公望

立命館創始

西園寺公望が京都御苑内の私邸に私塾「立命館」を創設。

1900年(明治33)

学園

私立京都法政学校創立

中川小十郎が鴨川河畔の旅館「清輝楼」を仮校舎に、夜間開講の「私立京都法政学校」を開く。

左:創立者・中川小十郎/右:清輝楼

左:創立者・中川小十郎/右:清輝楼

1901年(明治34)

学園

広小路校舎に移転

私立京都法政学校創立の翌年12月、清輝楼の仮校舎から広小路新校舎に移転。

1901年広小路学舎イメージ模型

1901年広小路学舎イメージ模型

1903年(明治36)

学園

京都法政学校第1回卒業式

7月、57名を第一期生として送り出す。

京都法政学校第一回卒業生卒業証書

京都法政学校第一回卒業生卒業証書

私立京都法政専門学校に改組

専門学校令により9月、京都法政学校を私立京都法政専門学校へと組織変更。

1904年(明治37)日露戦争始まる

学園

私立京都法政大学へと改称

専門学校令により9月、私立京都法政大学へと改称し、大学部(法律学科、経済学科、予科)と専門学部(法律科、行政科、経済科、高等研究科)を設置。

京都法政大学

京都法政大学

1905年(明治38)

学園

「立命館」の名称継承

西園寺公望より「立命館」の名称継承を許諾される。この際に寄贈された「立命館」の扁額は1908年の火災で焼失しており、現在の学宝は1913年に再度に贈られたもの。

立命館扁額(焼失分)

立命館扁額(焼失分)

私立清和普通学校創立

附属学校として私立清和普通学校を創設。翌年、私立清和中学校へ改称。

1910年(明治43)

韓国併合

1913年(大正2)

学園

私立立命館大学、私立立命館中学へと改称

12月、財団法人立命館が認可されたことを機に、学校名を改める。

大正期の大学と中学

大正期の大学と中学

1914年(大正3)

第1次世界大戦勃発

1918年(大正7)

大学令公布

1919~1748

1919年(大正8)

校友会

全国校友会結成

1903年に第一期生が卒業式を迎えて以来、京都・大阪・東京を中心に校友同士の集まりは自主的に開かれていた。1918年大学令が公布されたことを機に、母校の大学昇格を望む校友らが募金活動に名乗りを上げ、全国校友会の組織化が提案される。1919年11月23日、円山公園の料亭「左阿彌」で開かれ78名が出席した母校設立20周年記念校友大会が事実上の全国校友会結成大会となった。

1920年(大正9)

校友会

校友会活動本格化

全国校友会の結成を受け、会則を整備。評議員22名、幹事3名の体制でスタートする。それまで独自に活動していた京都・大阪・東京の校友会を支部として再編し、滋賀・神戸に新たに支部を設置。他の地方にも支部設置を呼びかける。大学昇格のための立命館大学基本金募集規定を定める。

1922年(大正11)

学園

大学昇格認可書

大学昇格認可書

大学昇格

6月、大学令により「立命館大学」(旧制)への昇格が認可される。大学に法学部(法律学科、経済学科)、研究科、予科を設置。

校友会

池田繁太郎

池田繁太郎

校友会推薦理事の誕生

昇格運動の過程で強く訴えられてきた校友の経営参与であるが、昇格直後の寄附行為改正により、校友から初めて弁護士の池田繁太郎が財団法人立命館の理事に就任。ほかに、13名の校友が協議員として、後に初代校友会長となる畝川鎮夫が監事に就任する。

1923年(大正12)関東大震災

学園

専門学部を設置

専門学校令による立命館大学を専門学部に改組し、法律科、経済科を設置。

校友会

関東大震災見舞金贈呈

関西を中心とした12名の校友が見舞金の募集を呼びかけ、471円の見舞金を東京支部に届ける。当時東京および近郊在住の校友は約70名であったが、その内10名の消息が『立命館学誌』65号に報告されている。

1924年(大正13)

校友会

推薦校友規則の制定

理事は在籍した者を校友に推薦できること、推薦校友は校友と同一の待遇を受けることが理事会において決定され、3名が推薦される。

会費の導入

それまで費用は支部より徴収するとしていた会則を改め、年会費二円または終身会費二十円を維持費として設定した。

1925年(大正14)治安維持法・普通選挙法成立
但馬地方大地震

校友会

但馬地震罹災校友へ義援

東京校友有志が見舞金を募集し、80円を東京支部幹事であった行枝傳藏より校友会本部を通じて罹災校友に送付。

政府補助金問題を決議

校友大会の席上にて、政府に対して補助金の不公正な公布を是正するよう求める決議文を採決。さらに、実行委員会を開き、文部省、大蔵省など関係省庁に陳情にまわる。

1927年(昭和2)北丹後地方大地震

学園

文学科、商学科を設置

専門学部に文学科を設置、専門学部と法経学部に商学科を増設。

校友会

北丹後地震被災地へ慰問使派遣

北丹後地震を受け、義援金の募集、罹災校友の調査を行なったほか、淺井欽治郎を校友会代表、吉川延治を京都支部代表として被災地に派遣。

1928年(昭和3)第1回普通選挙実施

校友会

運動場敷地購入寄付金募集

創立以来30年、グランド設備がなかった立命館であったが、この年に上賀茂神社の所有地を購入。工事は職員、学生らが行い、建設費用は教職員、学生、校友会の寄付によって賄われた。

上賀茂グラウンド工事

上賀茂グラウンド工事

1929年(昭和4)

世界大恐慌発生

1931年(昭和6)満州事変勃発

学園

夜間部を設置

1933年(昭和8)

京大滝川事件

1937年(昭和12)

校友会

畝川鎮夫

畝川鎮夫

初代会長に畝川鎮夫就任

校友数の増加を背景に、校友間の統制をはかるため会長・副会長制を採用。初代会長には畝川鎮夫、副会長には小泉焏が就任した。

就職支援事業を開始

卒業生の就職を斡旋するため、就職斡旋委員を嘱託。校友会と大学との間で新卒業生就職斡旋に関する懇談会などを実施する。この事業の目的について畝川鎮夫は「新たな校友の就職を斡旋し、新勢力を迎えることは先輩校友の義務であり校友自体の活躍発展の上に非常な後援であり、これはやがて母校の名声を高むることになる」と語っている。

1938年(昭和13)

学園

立命館高等工科学校を開校

私立電気工学講習所を継承し、立命館高等工科学校として開校。理工学部創設の端緒となる。翌年、立命館日満高等工科学校と改称し、衣笠に新校舎を建て移転する。1942年、立命館大学専門学部工学科へ昇格。

立命館日満高等工科学校衣笠新校舎

立命館日満高等工科学校衣笠新校舎

1939年(昭和14)

第2次世界大戦開始

1941年(昭和16)

太平洋戦争開始

1942年(昭和17)

校友会

小泉焏就任
第2代会長に小泉焏就任

1944年に逝去するまでの間、会長を務める。

1943年(昭和18)

学徒出陣開始

1944年(昭和19)

学園

専門学部を立命館専門学校へ改組

文部省通達に基づき、専門学部を法経・文・理・工の4学科を置く立命館専門学校へと改組。

校友会

会則戦時特例を定める

戦時中総会を開けない場合は、評議員の任期を延長することなどを定めた立命館大学校友会会則戦時特例が出される。

1945年(昭和20)

広島・長崎に原爆投下、終戦

1946年(昭和21)

日本国憲法発布

1947年(昭和22)

学園

新制中学校設置

新学制の施行に伴い、北大路に立命館中学校、上賀茂に立命館神山中学校を開校。翌年には立命館高等学校、立命館夜間高等学校、立命館神山高等学校を開校した。

昭和20年代の北大路学舎

昭和20年代の北大路学舎

1948年(昭和23)

学園

立命館大学(新制)を設置

学校教育法に準拠し、法学部・経済学部・文学部を置く立命館大学を設置。

1950年代前半の広小路学舎

1950年代前半の広小路学舎

1947~1971

1949年(昭和24)

学園

理工学部(新制)を設置

校友会

校友会再建

11月27日、存心館にて校友会再建全国大会が開かれ80名が出席。新たに会則が定められた。

第3代会長に小田美奇穂就任
第3代会長に小田美奇穂就任

1950年(昭和25)

学園

大学院(新制)を設置

校友会

校友課設置

校友課の設置並びに専任課員の配置を理事会に要求し、校友課が新設される。

1951年(昭和26)

学園

財団法人立命館を学校法人立命館に改組

1952年(昭和27)

学園

附属校を統合

立命館神山中学校、立命館神山高等学校、立命館夜間高等学校を立命館高等学校、立命館中学校に統合。

校友会

『立命』創刊号表紙

『立命』創刊号表紙

校友会誌『立命』創刊

6月28日、現在の会報『りつめい』の前身である『立命』が四六判創刊される。創刊のことばの中で会長の小田美奇穂は「母校の情況や、色々の動きを校友へ、校友の希望や消息を母校への連絡機関として会誌の発行が望ましいことであったが、今日迄用紙等の統制やその他色々の制約で、その実現が延び延びになり今漸く母校関係者や校友多年の要望に應へ得た事は喜びに堪へない」と語っている。創刊当初一部30円、年3回発行の予定でスタートするが、1957年からは新校友に配布される卒業記念特集として媒体の性格を変え、校友相互の動向や学園近況を伝える役割は『立命館学園新聞』校友特集号が担うようになる。

1953年(昭和28)荒神橋事件

校友会

新卒幹事の登場

会則を全面的に改定し、幹事と幹事会のあり方を詳細に規定。これにより、毎年20名前後の新卒校友が学友会の推薦を受け幹事に就任する。

1956年(昭和31)

校友会

女性幹事誕生

校友会として初めて4名の女性校友が幹事に就任。

1961年(昭和36)

校友会

北川敏夫
第4代会長に北川敏夫就任

1962年(昭和37)

学園

経営学部を設置

1964年(昭和39)

校友会

全国支部長懇談会開始

11月1日の全国校友大会当日に、全国支部長会議が開かれ14の都道府県からの出席があった。この会合は以降、年に1度のペースで継続され、現在の全国都道府県代表者会議へと発展してゆく。

1965年(昭和40)米軍機、北ベトナムを爆撃

学園

産業社会学部を設置

1966年(昭和41)

校友会

女子卒業生懇親会開催

5月29日の春季校友大会に併せ、法学部女子卒業生の第一回同窓会を開催。11月20日の秋季校友大会ではこれを全学部の女子卒業生の会に発展させた。以降、例年行事として継続される。

校友千円運動を推進

1963年より母校創立70周年記念事業寄付金募集に取り組んでいたが、寄付金額が一口一万円だったことから、校友の応募状況は必ずしも良好ではなかった。そこで、一人でも多くの校友の参加を促す趣旨で、一万円という枠にとらわれず、五百円でも千円でも受け付ける「校友千円運動」を呼びかけた。

1967年(昭和42)

校友会

職域・グループ校友会を組織化

それまでも職域やグループによる校友の集まりは多数あったが、この年発行の『立命』27号では、地方支部のほかに、職域・グループ名簿欄がはじめて設けられた。

1969年(昭和44)

校友会

『立命館大学校友会ニュース』発刊

『学園新聞』校友特集号が『校友会ニュース』としてリニューアル。1972年までの間に年1~4回、計8号を発行する。

『校友会ニュース』

『校友会ニュース』

1972~1984

1972年(昭和47)沖縄返還協定発効

校友会

『りつめい』改題第1号

『りつめい』改題第1号

会報『りつめい』へリニューアル

それまでの『立命』、『校友会ニュース』を統合し、『りつめい』としてリニューアル。題字は末川博・名誉総長によるもので、現在も踏襲されている。創刊から今日に至るまで、年4~6回のペースで発行されている。

1973年(昭和49)

第一次オイルショック

1974年(昭和49)

校友会

西村光次
第5代会長に西村光次就任

1975年(昭和50)

ベトナム戦争終結

1977年(昭和52)

校友会

女子同窓会結成

1966年より恒例となっていた女子卒業生懇親会であったが、一時停滞の上、この年に立命館大学女子校友会が結成された。初代会長には校友初の女性弁護士であり後に芦屋市長となる北村春江が就任。

校友会旗登場

現在の校友大会でお馴染の校友会旗は、この年の校友大会で初登場。各支部からの要望を受け、制作された。

都ホテルにて開催された全国校友大会

都ホテルにて開催された全国校友大会

1979年(昭和54)

校友会

「校友会館」開館

1932年に校友会館建設実行委員を発足させ、資金集めや大学への要望書提出に取り組んできたが、衣笠一拠点計画の過程で新・中川会館の4階をロビーや会議室、応接室を備えた校友施設として使用することが決定した。

校友会ロビー

校友会ロビー

桐山治一
第6代会長に桐山治一就任

1981年(昭和56)

学園

さよなら広小路祭典

さよなら広小路祭典

衣笠一拠点完成

1965年の経済学部・経営学部にはじまり、法学部に至るまで、17年の歳月をかけ広小路より衣笠キャンパスへ全学部が移転。

校友会

全国校友大会を衣笠キャンパスで開催

衣笠一拠点完成と創立80周年の祝賀をかねて、全国校友大会を衣笠第一体育館で開催。1969年以降校友大会はホテルで開催されており、キャンパスでの開催は13年ぶり。

衣笠キャンパス

1983年(昭和58)

校友会

川勝傅校友会長
第7代会長に川勝傅校友会長就任

1985~1997

1985年(昭和60)

校友会

1県1支部原則を採用

会則を一部改正し、支部は各都道府県1支部を原則とし、それまでの届出制から、幹事会での承認を必要とする承認制する方針を採用。ただし、それまでに存在する複数の支部については認めることとした。

1986年(昭和61)男女雇用機会均等法改正施行

校友会

海外校友の組織化に着手

この年より、住所を把握している海外校友(88年時点で111名)へ会報『りつめい』の発送を開始。翌年には校友課長が台湾を訪問し、台湾在住校友の状況を調査しているほか、北米支部が設立されている。

1988年(昭和63)

学園

国際関係学部を設置
附属校の移転拡充

立命館中学校・高等学校を男女共学化、北大路学舎から深草学舎へ移転。

深草キャンパス

校友会

廣慶太郎
第8代会長に廣慶太郎就任

1990年(平成2)初めての大学入試センター試験実施
ベルリンの壁崩壊

校友会

ホームカミングデー・全国校友大会開催

衣笠キャンパスにて開催されたホームカミングデー・全国校友大会開催には、韓国、カナダバンクーバ支部からの代表者を含む校友、学生、一般市民を合わせて約1万人が参加。

ホームカミングデー・全国校友大会

1991年(平成3)

湾岸戦争

1993年(平成5)

校友会

野口美子(フリーアナウンサー)

初回は野口美子(フリーアナウンサー)

「輝くひと」連載スタート

会報『りつめい』の表紙を飾る「輝くひと」シリーズは、163号より。当初は各界・各地で活躍中の女性校友にスポットを当てることをコンセプトにスタートした。

1994年(平成6)

学園

BKC開設

高度情報化社会を切り開いていく人材を養成するため、滋賀県草津市にびわこ・くさつキャンパスを開設。理工学部が拡充移転した。

びわこ・くさつキャンパス
政策科学部を衣笠キャンパスに設置

校友会

白雲荘を購入

創立者・中川小十郎の旧邸・白雲荘(寺町今出川)を学校法人立命館より購入。2007年3月の閉館まで、校友の会合や宿泊施設として活用される。

上白雲荘

1995年(平成7)阪神・淡路大震災
地下鉄サリン事件

学園

立命館宇治高等学校開校

宇治市に立命館宇治高等学校を開校し、2003年には立命館宇治中学校を開校。

立命館宇治中学校・高等学校

校友会

阪神・淡路大震災復興支援

学友会、父母教育後援会、教職員組合、生活協同組合との緊急協議の上、各団体100万円ずつ拠出し、総額500万円の救援金を立命館大学関係者の総意として日本赤十字社を通じて被災地へ送金。さらに校友会として、被災者の復旧再建に対する救援募金に取り組んだ。

校友会奨学金制度発足
BKCにて全国校友大会開催

前年4月に開設したびわこ・くさつキャンパスにて10月28日、全国校友大会が開催され、約1500人の出席者が参加した。母校の新キャンパス見学を兼ねた、家族参加や初参加の校友が目立った。

BKC大会
Rits OGサークル発足

働く女性校友の会であるRits OGサークルが12月に関西で発足し、翌年には関東地区でも旗揚げされた。事務局を大学就職課内に置き、女性校友のネットワーキングのためのワークショップ開催や現役学生支援などに取り組んだ。

1996年(平成8)

学園

立命館大学慶祥高等学校開校

北海道に立命館大学慶祥高等学校を設置。2000年に立命館慶祥高等学校に改称するとともに、立命館慶祥中学校を開校。

立命館大学慶祥高等学校開校

校友会

河原四郎
第9代会長に河原四郎就任

1997年(平成9)

校友会

都道府県支部組織完成

群馬県支部設立により、全都道府県に校友会支部が網羅される。

1998~2010

1998年(平成10)

校友会

都道府県支部を都道府県校友会に再編

それまでの都道府県支部を都道府県校友会に改称し、独自活動の活性化をはかるよう会則を大幅に変更。また、新たに常任幹事会を設置したほか、BKCの新展開やAPUの開学を視野に入れ、校友大会の開催場所を京都に限定せず機動的に開催できるようにした。

2000年(平成12)

学園

APU開学

建学の精神、教学の理念をより具体化することをめざし、大分県別府市にアジア太平洋大学(APU)を開学。

APU

校友会

APU正門建設費贈呈

1999年末より取り組まれてきた学園創立100周年記念募金には約半年間に5,314名が応じ、総額102,325,869円を立命館アジア太平洋大学の正門建設費として寄付。銘文には「立命館新世紀の幕開けに世界と未来に開かれたこの門を贈る」と記されている。

APU正門
キャリアアップフォーラムを開催

次世代の担い手である若手校友および現役学生に校友会に対する認識を深めてもらうため、衣笠キャンパスでの学園祭期間中に開催。大学から在学生の就職活動を援助するよう委嘱を受けた若手校友がキャリア・アドバイザーとして参加し、600名を超える学生と交流した。

キャリアアップフォーラム

2001年(平成13)アメリカで同時多発テロ

学園

衣笠キャンパスに大学院応用人間科学研究科を設置

2003年(平成15)イラク戦争

学園

大学院言語教育情報研究科を衣笠キャンパスに設置
大学院先端総合学術研究科を衣笠キャンパスに設置

校友会

竹本慎也

APU校友会初代会長竹本慎也

APU校友会発足

早期卒業した7名で始動し、翌年500名の新校友を迎える。初代会長には竹本慎也が就任。

2004年(平成16)

学園

情報工学部をBKCに設置
大学院法務研究科(法科大学院)を衣笠キャンパスに設置

校友会

山中諄
第10代会長に山中諄就任

2005年(平成17)

学園

BKCに大学院テクノロジー・マネジメント研究科(MOT)を設置

2006年(平成18)

学園

朱雀キャンパスを開設

社会に開かれた「知の創造拠点」として、JR二条駅前に朱雀キャンパスを開設。学園本部と法務研究科を移転し、大学院経営管理研究科(MBA)を新設。

朱雀キャンパス
立命館小学校を設置

学園初となる附属小学校を立命館中学校・高等学校北大路学舎跡地に設置。

立命館小学校
立命館守山高等学校を設置

滋賀県守山市に立命館守山高等学校を開校、翌年に立命館守山中学校を開校。

立命館守山高等学校

校友会

校友会本部事務局、朱雀キャンパスへ移転

2007年(平成19)

学園

映像学部を衣笠キャンパスに設置
大学院公務研究科を朱雀キャンパスに設置

校友会

RITSUMEX’07オール立命館デーin東京開催

それまでの校友大会プログラムに加え、著名校友の講演や現役学生のパフォーマンス、受験生を対象にしたオープンキャンパスなどのイベントを東京国際フォーラムにて開催し、延べ7500名が参加した。学校法人立命館との共催およびキャンパス所在地以外での開催はこれが初となる。

RITSUMEX’07オール立命館デーin東京開催

2008年(平成20)リーマン・ショック

学園

生命科学部・薬学部をBKCに設置

校友会

校友会ロゴマーク誕生

前年に立命館学園のコミュニケーションマークが誕生したことを受け、校友会でも同マークを配したロゴマークを制定。

校友会ロゴマーク
リコネクト始動

20代を中心としたAPU卒業生を含む若手校友有志の会が首都圏と関西でそれぞれ活動を開始し、翌年にはリコネクト東海も設立された。従来の都道府県校友会や職域校友会の枠組みとは一味違う形で結束し、現在まで続いている。

リコネクト

2009年(平成21)

学園

スポーツ健康科学部をBKCに設置

校友会

BKC内クインススタジアム剪定に寄付

校友会設立90周年を記念して、びわこ・くさつキャンパス内クインススタジアムの剪定に200万円を寄付。

オール立命館校友大会2009を名古屋で開催

東海4県の校友会が中心となって校友大会史上初めて愛知県で開催。以降、2010年福岡(九州・沖縄)、2012年新潟(関東・甲信越)、2014年岡山(中四国)、2016年金沢(北陸)と地方大会が京都と隔年で開催され、地方での母校のプレゼンス向上に貢献するとともに、ブロック単位で都道府県校友会の結束が高まっていく。

オール立命館校友大会2009

2011

2011年(平成23)東日本大震災

校友会

東日本大震災復興支援特別委員会発足

東日本大震災の被害の大きさを鑑み、東日本大震災復興支援特別委員会を発足。復興支援金・義援金の募集と配分や、校友大会への被災校友の招待、東北応援ツアー実施など支援事業に取り組む。

東日本大震災復興支援特別委員会

2012年(平成24)

校友会

校友会未来人財育成基金創設

会則に掲げる「後輩への様々な支援」を達成するため、ひと口1,000円から継続的に支援できる基金を創設。各都道府県校友会のRFS(立命館未来サポーター)と各地域ブロックをまとめるRFSリーダーズが中心となって募集推進に取り組んでおり、集まった寄付は後輩の育成に活用されている。

RFS・RFSリーダーズ会議

RFS・RFSリーダーズ会議

2013年(平成25)

校友会

年会費制度を廃止し終身会費に一本化
村上健治
第11代会長に村上健治就任

2015年(平成27)

学園

OIC開設

大阪茨木市に大阪いばらきキャンパス(OIC)を開設。経営学部が移転。

大阪いばらきキャンパス

校友会

オール立命館校友大会2015inOIC開催

大阪いばらき新キャンパスで開催された校友大会には各地から延べ5,000名が参加した。キャンパス開催は1995年のBKC大会以来20年ぶり。

2016年(平成28)熊本地震

学園

総合心理学部をOICに設置

2019年(平成31)

校友会

校友会設立100周年

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